『源氏物語』と“お祭り騒ぎ”
国文学研究資料館
准教授 加藤 昌嘉

このところ、にわかに、“源氏物語千年紀”という言葉をあちこちで耳にするようになりました。

『紫式部日記』において、藤原公任が「あなかしこ。このわたりに若紫やさぶらふ?」と戯れの言葉を掛け、紫式部が「源氏に、かゝる人も見え給はぬに……」と記したのが、寛弘5年(すなわち西暦1008年)11月1日のこと。つまり、このとき、「若紫(紫の上)」が登場する巻々が貴族の間に流布し、それらの物語群が「源氏」と呼ばれたことが分かる、というわけです。

来たる2008年は、そこからちょうど1000年目に当たるということで、各地の博物館や学会が、こぞって源氏物語展や源氏物語講演会を開催するようです。かく言う私も、国文学研究資料館が主催する展示や中古文学会関西部会が主催するシンポジウムに携わっているのですけれども、ただ、内心では、こうした“お祭り騒ぎ”に対していささかの胡散臭さを感じてもおります。

国文学研究資料館蔵『源氏物語』(橋本進吉旧蔵本)

国文学研究資料館蔵『源氏物語』(橋本進吉旧蔵本)

おそらく、2008年には、各メディアが、「源氏物語が成立して1000年」という見出しを掲げることでしょう。しかし、その表現は、学問的には、決して正確なものとは言えません。

第一に、『紫式部日記』全篇を読んでも、1008年前後に一部の巻が流布していたことと、それらの作成に紫式部が関わったことが窺い知られるに過ぎず、全巻が完成したのがいつなのかも、紫式部がすべてを執筆したのかどうかも、全く以て不明なのです。

第二に、『源氏物語』が何帖から成っていたのかが、詳らかでありません。確かに『更級日記』には「源氏の五十余巻」という言葉が出てくるのですけれども、中世の諸文献によれば、「若菜」上下巻を「一巻」と数えた人々もいましたし、「帚木」巻と「空蝉」巻が1冊になった本もあったようですし、今は無き「巣守」巻や「桜人」巻を含めて読んでいた人々もいました。つまり、現在われわれが本屋で入手する『源氏物語』は、平安時代に読まれていたものとイコールでない、ということです。

第三に、「物語が完成する」という概念が、平安時代と現代とで相当異なっています。物語の写本には、作者名や発表年が記されないのが常であり、ということは、紫式部周辺の人間が続篇を発表しても容易に受け入れられたでしょうし、それをも『源氏物語』の一部だと認め得るのだとしたら、そもそも「完成」とか「成立」とかいった概念自体が成り立たないことになります。

・・・というわけで、“源氏物語千年紀”なる言葉は、いかにもおめでたい商用標語ではありますが、作品の実態にも当時の概念にもそぐわない言葉であるということを、学者たるもの、よくよく知っておきたい、と考えている次第です。

来たる2008年には、テレビや新聞・雑誌が「空前の源氏ブーム」と騒ぎ立てるに違いありません。しかし、私の知る限り、この数十年、「源氏ブーム」でなかった時代など存在しませんでした。『源氏物語』は、毎年のように、漫画化されたり映画化されたり歌舞伎になったり新しい現代語訳が出されたりし、そのたびに、企業やマスコミや百貨店や国立機関が、ここぞとばかりに大衆に迎合する企画を打ち出してきました。

『源氏物語』と言うだけで展示にも講演会にも人が押し寄せるのは事実ですし、それはそれで不思議な現象(分析されるべき心理)ではあるのですけれども、『源氏物語』が流行るときにも、或いは『ダヴィンチコード』が流行るときにも、高松塚古墳の謎解きが流行るときにも、いつも、学者というものは、マスメディアに煽られた浅薄な“お祭り騒ぎ”に対して歯ぎしりしたり地団駄踏んだり冷笑したりするものに違いなく、私もそうしたねぢけたる性を失わずに“祭りの後”を見届けたい、と密かに思っているところです。

国文学研究資料館蔵『源氏物語団扇画帖

国文学研究資料館蔵『源氏物語団扇画帖』)

(平成19年12月11日掲載)

著者プロフィール

加藤昌嘉(かとう・まさよし)

人間文化研究機構国文学研究資料館・文学形成研究系准教授。大阪大学大学院博士後期課程修了、博士(文学)。平安文学を研究。最近の研究テーマは、源氏物語の写本と表現。

※著者の肩書きは掲載時のもの

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